朝ドラかぶれなわたし

子どものころ、まともに読んだことがなかったので、ドラマ「花子とアン」をやっているとき、村岡花子の翻訳した『赤毛のアン』を通して読んでみた。

“ランプ”のことを“提灯”と訳してあったりと、その時代を感じた。翻訳本というのは、訳者の体をフィルターのように通して出てくるお話なのですね。

そして、村岡花子と蓮様のカラミがドラマでおもしろかったので、これは白蓮の本も読んでみなきゃねと、販促にひっかかって本屋の軒先で手に入れた本。

新聞の広告欄で大きく宣伝していましたね

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ドラマの脚本よりは、真実に近いかもなぁ。村岡花子と柳原燁子との関係は実際はどうだったんだろう・・・そう思って読み始めた。

おもしろい、おもしろい。

だけど、村岡花子でてこないなぁ・・・でてこないなぁ・・・

 

 

 

やっと出てきたのは、左手に残り数枚となってしまった409頁、宮崎龍介とのかけおちがなんとか成功した後の、世論のなかでチラっと1回、「・・・村岡花子(しかも何故かふりがな付きで)など、好意的な意見もあったが・・・」と出てきた。何度か読み返してみたけど、それほど重要人物のようには書かれていなかった。

がっかり。本当は、「腹心の友」ではなかったのね。

“腹心の友”というコトバは、村岡花子の訳した『赤毛のアン』のお話の中で、親友のダイアナにアン=シャーリーが、「わたしの腹心の友になってくれる?」と出てくる。現代では「親友」言うところを、村岡さんの時代に訳すと「腹心の友」となっただけなのか・・・な。

ちなみに、白蓮が龍介に出会ってからのち、あるとき九州から東京に出てくるときのこと。「久しぶりに見る東京は・・・・そうかと思うと、いたるところで『ゴンドラの唄』というやたら甘ったるいメロディが聞こえてくる。」とある。

その歌詞は ♪ いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇あせぬ間に ♪

そう。今の朝ドラ「マッサン」で、エリーがよく口ずさんでいた歌です。

「カーネーション」のコシノ三姉妹の母も、「ごちそうさん」の(あれは架空かな?)杏ちゃんも、「マッサン」のエリーも、白蓮も村岡花子も、はたまた「おしん」のおしんも、皆んな関東大震災~太平洋戦争世代。誰か何処かですれ違っていたのではないかと、いつもそればかり思ってしまう私なのです。

 

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